日本の技博物館

刃物記念館

刀にまつわる事実

『昔の玉鋼が良い』と言う嘘とその理由

タタラ師の技は、月に何回も行っていた昔とは異なり、今は一年一回冬期にしか行ないません。昔のタタラ師と現代のタタラ師との技量の差は、体験数からくる慣れと工夫の違いが大きいようです。それでは昔の玉鋼と今の玉鋼との違いはどうかというと、昔のほうが、不純物が多かったようです。操業が不安定であった為と思われます。故に不純物の除去で卸し金精錬が必要となり非常に手間がかかりました。古刀時代など、ほとんど『卸し金』(刃物職人分類を参照)を行っていたのではと推測されます。
現代の玉鋼のほうが、技術的に製法自体が安定し、効率的に良い物が沢山出来ています。 違いと言えば、砂鉄の取り方の違いがあります。今は磁石を使って行います。昔は、水による選別であり、不純物も多かったようです。赤目砂鉄も当時は多く取れた事から、流れの良い銑(ズク)が多く出て、垢金がリンやイオウを引っ張り雑物と出ていくと言った利点はあったようです。しかしデーター的には、問題にする程の違いはないと言います。しかし、今でも銑が多く流れる年の鋼は、出ない年の玉鋼より良い感じがすると言う刀匠もいます。しかし、その刀匠ですら良し悪しを声高に語る程のものではないとの事でした。
今は、全てが安定しており、効率的には高く、昔より一回の操業で沢山の玉鋼が出来ます。昔は、効率が悪かった分、玉鋼より垢金が多く、故に卸し金製法で精錬を行うことが多かった訳です。 戦中の靖国タタラの再開は、明治からの操業停止期間の問題から、初めは良いものが出来なかったのは当然であります。当時の靖国タタラの時代の話が未だに尾を引き、一般の鍛冶屋さんや、刀を売る商売の人のセールストークとして、昔のほうが良かったらしいといったうわさが流布しているようです。事実、腕のない刀鍛冶や販売鍛冶、そして噂を真に受けた人達が話しているのを聞いた事があります。“昔の製法”を良しとしたい商人やマニアなど周辺の思惑もあるようです。

事実古刀などは素晴らしい地金があり、『卸し金製法』による優れた精錬技術、効率の悪い玉鋼とのコンビネーションから作られた味が、何とも言えぬ地金を結果としてもたらしたものがあることも事実です。現在でも、最高ランクの刀鍛冶で、時には玉鋼の2級品を使い、自分なりの鋼を造る刀匠もいます。

刀の反りについて

焼き入れの際に、水槽に入れると刀は自然に反ってきます。しかし、時代の特徴や刀匠の思いもあり、反りは、狙う形に後から調整します。

 撮影:宮田昌彦

刀の見方に付いて

刀の美しさは、『姿・地鉄(じがね)・刃文 』となります。さらに美を追求する事は、刃物としての条件をも満たしていることが大切であります。一流の研ぎ師はこれを期待します。
『折れず・曲がらず・良く切れる』は刀として常識です。この技術は刀匠ゆえの技であり、日本の刃物鍛冶、火造りの根幹を成すものです。
地鉄には、波文とは異なる鍛錬から来る地金模様があります。これは鍛練の技であり、刀の最も重要な価値の一つである地金の美しさとなります。
何度も折り返す鍛錬で地鉄に、木目のような流れが表れます。鉄を鑑賞出来る状況迄、研ぐ素晴らしさも刀の特筆すべきもので、他の刃物とは格段に高度な技が必要である事を知らされます。板目(丸太を横にしてスライスして出る模様)、柾目(丸太を中心方向で切った場合のまっすぐな模様)、杢目(丸太の年輪、小口模様)などに類するものです。

刀物の『複合鍛え』に付いて・・・軟鉄と鋼の組み合わせ

同一原料で全く異なる柔らかな地鉄と堅い鋼との組み合わせが日本の刀物の特徴です。日本の刀を軸とするこの複合技法こそ、世界一と言われる日本の刃物の真骨頂であります。刀鍛冶からの流れ、言い換えれば玉鋼の時代の名残りです。刀の場合の複合鍛えは、まず刃の心金に使う鉄ですが、一般鍛冶のように別の鉄ではなく、玉鋼の炭素の量を減炭し、焼きの入らない適量に鍛えて使います。従って同じタタラから取った玉鋼と言ってもいい訳です。刃の部分と心鉄の部分は、刀鍛冶が精錬し鍛え分けてから、合わせて作刀します。
一般の刃物は、地金の部分に別の鉄を使います。刃の部分に鋼を鍛接して作りますが、複合材とする刀の製法に影響を受けています。日本の包丁、ナイフ、鋏、火造る手法は全てこの方法です。この複合鍛えはいくつかの利便性を持っています。例えば刃物を道具としての強さを求める時、鋼に鉄を鍛接してねばりを出し丈夫な刃物にする方法、又、厚い刃物の場合は、硬い鋼だけでは研ぎにくい為、鋼に研ぎやすい厚い鉄を鍛接することで、研ぎやすく切れて使いやすい刃物を作る方法。など使いやすさや目的とを合わせて複合鍛えは発達して来ました。鉋(かんな)の刃は、鋼と分厚い鉄を鍛接して作りますが、厚い鉄の部分の材質は昔の鉄を良しとします。これは成分に不純物が多く、砥石がかかりやすい事と、研ぐ時間も短縮出来ることです。当然、炭素の少ない鉄を使うことから、厚い部分には焼きが入らないメリットもあります。先人達の知恵は刀の複合製法をヒントに、素晴らしい刃物を造り上げてきました。世界で唯一の日本が誇る技法であります。

刃文に付いて

 撮影:宮田昌彦

刃文は、焼きの違いによっておきる境界線の模様です。詳しく言えば、刃はマルテンサイト、地鉄はトルスタイトと言った組織の違いが焼き入れによって構成されています。
焼き入れ作業とは、刃物として必要な切れ味を出す作業ですが、簡単に言えば赤らめて水に入れることです。その後、この刃物に焼き戻しという作業を行います。焼き入れをしただけでは刃先がぱりぱりで粘りが無く、研いでいても細かく割れてしまいます。そこで少し粘りを戻し使いやすくする作業として行います。 トンカチなども焼きを入れただけで使うと縁が欠けて使い物になりません。
刃文はこの組織の違いを上手く使い、融合し合った部分の不完全な状態が反射模様になって出てくるものです。
刃文の模様を出すには、刀身を焼刃土(やきばつち)といった粘土で包み、刃の部分は薄くします。薄くすると同時に色々な刃文の模様を刀匠が付けて行きます。乾いたら、これを落とさないように、細心の注意を払い扱います。炭も細かく割った物を使います。焼刃土が崩れると刀身の肌は醜いものとなり、失敗します。この焼刃土は砥の粉や炭の粉、そして土であり、刀匠により調合が違います。硬さは糊状です。
しかし上古刀などにはズブ焼きといって焼刃土を付けずに作刀したそのままで焼き入れをしたものも多くあります。もちろん現代の刀匠で行う人もいます。多分日本古来の土置き、叉は土取りの手法が開発されるまでは他国から伝来したこうした手法を行なっていたのではと推測します。ズブ焼きをして焼き入れをしても、心鉄には焼きが入りません。同様に刃物鍛冶の場合、一般刃物でも、この土置きを行い、焼き入れを行う親方もいます。水に入れた瞬間、刃に水蒸気の泡が付き暴れて焼きむらが出来る事を防ぐ目的として行なっています。

刃文の模様に付いて

ここでは刃文の主な名称と、よく有る刃文を学びます。主たる刃文は

直刃(すぐは)
刃文の波がなく真直ぐに地鉄との境が出る。
互の目刃(ぐのめ)
波がブロックに分かれ、各ブロックの幅よりその高さが低い細かい波が続く、人気のある刃文。
丁字刃(ちょうじ)
華やかな人気のある刃文。波の高さがピッチより高い、足は下でつぼまる感じである。
のたれ刃(のたれ)
直刃からゆっくりと穏やかに波がでたような傾向。
濤乱刃(とうらんば)
波にうねりが出て来た感じ。
皆焼刃(ひたつらは)
刃先だけでは無く地鉄部分にも広く賑やかに焼きが入っている。

※ その他色々とあり、正確には言い難い物で、これらの刃文が混じっており、人によっての見方で多少言い方も変わってきます。刃文にからむ模様として、掃掛け、葉、稲妻、足、小足、逆足、金筋、丁字足、砂流し、足ながし、などの様々な模様が華やかにからんで現れます。
※ その他、美術刀剣には地鉄の見方など色々とあります。地鉄と刃文には、小さな輝く地鉄の小さな粒が研ぎの素晴らしさから発見出来ます。これが『錵(にえ)と匂い出来』等の言い方で刀の地鉄の出来を見るひとつの美の価値であります。刀身を光線にかざしてみると細かいきらきらする粒が認められます。これが錵と言います。刃に出るものを刃錵そして地鉄に出るものを地錵と言います。匂い出来とは錵の細かい物で、刃の縁が煙りや霞みのように見えるものを言います。 錵も大きな錵やムラのあるムラ錵などは良しとしません。

刀剣の国宝、人間国宝、重要刀剣とは

※国宝は、新刀、新々刀、現代刀にはありません。全て古刀です。
※人間国宝は、無形文化財として刀剣では現在2名。作った刀は国宝ではありません。
※重要刀剣とは、刀の質とはまったく関係ありません。時代的に重要であると言う証明と言ったところです。

武器としてより精神を重視

昔の刀を過大評価する傾向が特に強いのが、刀剣販売の業界ですが、歴史的意味を持っている古刀などは、それだけでも確かに重要なものです。
本来刀は、それ自体が持っている研ぎ澄まされた清廉感と神秘性から、精神面を重視したものとして重要な意味を持っていました。
武器としての目的を捨てた刀は、日本を代表する精神部分を残しています。その意味では、“昔の刀と現代の刀”には異差はないようです。冠婚葬祭、神事などに祀ってきたことなど、昔も現代も全く同様であります。
昨今の刀のブームは、こうした精神面をないがしろにし、マニア的なものであることが気になります。刀とは名ばかりの駄物が飛ぶように売れています。刀を買うにあたって、調べもせずに購入している事が分り、これに危惧をいだく刀鍛冶も多くいます。
心を正す鑑として持つ刀であるとすれば、曰くのある駄物の時代刀より、同価ならばはるかに質の良い現代刀をお薦めします。予算に見合う刀匠に自分の魂として“自身の刀”を打ってもらうことのほうが、愛着も湧き、素晴らしい一振りとなるはずです。これが本来、自分の刀とする昔も今も変わらない姿であると考えます。
今回、現状に警鐘を鳴らす意味をもって刃物記念館に日本の刃物の基本となった刀を中心に取り上げました。そして今後も当会の様々な企画とも連動して行きます。

刀から今に伝わる言葉

元の鞘におさまる
刀の鞘は刀に合わせて作ります。従って《反りが合わない》別の鞘では合いません。納まるところに納まった事を言います。
鎬(しのぎ)を削る
刀の左右に有る稜線の事を鎬といいます。激しい戦いを言います。《鍔(つば)迫り合い》なども同意語です。
折り紙付き
刀、書、絵、陶器などに付けた鑑定状のこと。保証する事がやがて人間にも使われた。《札付き》も似たような発想。
目貫き通り
賑やかな街筋、刀の柄をと刀身を止める穴を目貫きと言う。ここを被う錺も目貫きと言う。別に《生き馬の目を抜く》から目貫き通りと言う説も有る。
切羽つまる
せっぱつまるとは、鍔の上下にはめる金具板で、鍔を止める道具、にっちもさっちも動かない事を言う。
抜き差し成らぬ
刀がさびて抜けない。取り返しが付かない状態を言う。

 

《参考文献》
作刀の伝統技法、 鈴木卓夫著 1994/11/25
日本刀 21世紀への挑戦 土子民夫著  1997/9/12
入門 日本刀図鑑 得能一男著 1989/1/20
趣味の日本刀 柴田光男著 200214/6/20

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