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小学校3年から、弟の明倫氏と共に手伝いをさせられました。現在も兄弟鍛冶で左市弘を作っています。私は高校にどうしても行きたくて担任の先生から父を説得してもらいましたが、両方出来なければ辞めさせるとの約束で勉強しました。
修業中は一ヶ月間家から出ない時もありました。仕事が休みの日は鍛冶場が空いているので自分なりに練習できるから嬉しかったですね。今は尊敬出来るような鍛冶職人が昔のように身直にいない。それゆえ努力しなくては技を高めることが出来ません。と語る親方は冶金学に詳しく東京工大など幾つかの大学でも教えている。
初代市太郎は新潟で生まれた。当時、東京には有名な鍛冶屋が多かった。市太郎は尋常高等小学校を出てすぐ上京した。初代を継いだのは弟勇である。当代の父親である。2代目の腕も確かで、左市弘の銘が勝手に商標登録され、盗まれた事でも分る。3度もの転売をされながら当代と円満解決し、現在は親方の物だけに銘を使い、商標登録を持つ問屋が販売している。 |
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左市弘の特徴の1つに刃の裏すきがあります。焼入れ前に済ませます。ヤスリがけとトンボセンを使い形を整えます。裏すきもグラインダーなら一時間に50本は出来ますが、センでやるとなると2本が限界。因にセンは、現在刀鍛冶が刀を削る時に使う方法であり昔は小鍛冶全般(タタラ鍛冶の大鍛冶に対して細工をする鍛冶の総称)で使っていた道具であります。皿のように削れることからグラインダーですいただけの物とは異なります。
理由は長く使いやすく、いつまでも研ぎやすくすることを考えて行います。センがけは、膝、肘、足の指まで使います。焼入れは松炭で行い、これは刀と同じです。刀の玉鋼に似ている白紙の特徴は、作る時は難しいが、砥石にのって刃先が出しやすくしかも長切れします。 |
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凄いと思う尊敬する昔の鍛冶屋は、鉋の千代鶴是秀です。一部は真似が出来ると思えますが、雰囲気というか、使い込んで初めて分る凄さや風格など、熟達した勘と職人技でこれだけのものを作る。ともかく目標のひとりです。 |
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職人の技を、今の時代の技で解明する積極的な方法でサポートして行きたい。 |