職人の住む町
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奈良平城京の息吹を加え、未来永劫に思いを伝える重代刀。夢を鍛える刀鍛冶がいた・・。

刀匠は最高位の “無鑑査”である。作刀は時代背景を捉えた特徴を表現したものが多い。例えば、備前伝 “影光” 鎌倉時代の有名な刀匠の作風であるが、磨かれた刀身に対して一定方向のわずかな光が入る時“蜃気楼”のように刃紋の上に華麗な “乱れ映り”が平行して浮かびあがる。どうすればこのように整然と出るのであろうか。又,異なる作意、例えば相州伝であるが昔の刀と思える味わいがある。
刀とは、世界で唯一、鋼を鑑賞できる “冶金美術品”である。刃紋、地金、形など、きわめて難度の高い鑑賞できる技だが、刀鍛冶の技量に合わせて様々な形で現れるのである。
大鍛冶(たたらで鉄を作る鍛冶)が“砂鉄が溶着したそのままの玉鋼、それを小鍛冶(細工物を作る鍛冶)が注意をはらい精錬し鍛え “鋼や鉄”を作る。この技は小鍛冶(全ての鍛冶)の中でも刀鍛冶にしか出来ない。一般の鍛冶は作った鋼を買って鍛接している。これが違いである。鋼の組織変化を活かせる技で、種々の異なる表情を刀に現す。これも玉鋼の和鉄でしか出来ない。
刀鍛冶は弟子を含めて全国に350名はいる。その頂点にいるのが18人衆。人間国宝も含めてこの別格な刀匠達を“無鑑査”と呼ぶ。宮入法廣刀匠はその中の一人である。
多種ある作意の好き嫌いは別にして、ほとんど技を試みている刀匠達である。宮入刀匠には他の刀匠とは異なる確かな技がもうひとつある。
奈良正倉院の宝物のひとつ刀子(とうす)である。この復元を依頼され再現している。小さな小刀で、奈良から平安朝にかけての装身具。使い勝手から言えば“あると便利な刃物”といった感じである。
宮中に参内する際、必ず前帯に下げていた。儀礼的、そしてお守り的な意味があったと言う。女性も男性も大切に持っていたと外装の美しさから感じとれる。特に高官の品は素晴らしい。互いに自慢し競い合ったと思うのである。
理由は、刀子の鞘(さや)だ。驚きは平安朝に、高級かつ珍品であるはずの “象牙”が使われている。細工は心配になるほど精巧且つ繊細、神経をすり減らすようにして作ったのであろうか。
掘り込んで付ける彩色文様は、すでに日本らしく消化され、清楚な感じとなって色気も感じる。この象牙技法を“撥鏤(ばちる)”と言う。
この鞘の名称は “撥鏤鞘”だ。すでに現存しない技である。
そこで宮入刀匠が挑戦した正倉院から始まるロマンと重代刀(家宝刀)を重ねて捉えてみたい。作刀の息吹は平城京から未来永劫にまで夢として繋がる。このストーリーは親方の風貌と共に “夢を鍛える刀匠”の筆頭であると思える。重代刀(家宝)の息吹とは持つ人の夢、その為の刀匠である。撥鏤鞘と刀の感性は通じ、全ての技に通じる。一流として必要な要素だ。又、自己研鑽から備わる人間性や思いもバランスよく作品に加味されていく。刀に限らずどの技種の職人も一流であればこれは同じであり、本物の条件と思える。
■ 歴史
奈良時代

     
  映りについて
“映り”は光の反射で奇麗に浮き上がる蜃気楼の様な模様である。これを写真に撮ろうとするとカメラにダイレクトに光が飛び込みハレーションを起こす。反射光で見えるので写真を撮るにはやっかいである。刀の向きを変え、光を避けるとこんどは映りのほうが消えてしまう。あちらを立てればこちらが立たず。何とか見える程度でおさめたつもりだがやはり下手であった。映りが出ている写真に線を入れた。比べて見ているうちに感じが掴めると思うのだが・・。?

  昭和53年 人間国宝 隅谷正峯刀匠に入門。6年目に資格を取って独立。
 

好きな作風は、華やかな波紋を焼いた備前伝と、地金を愉しめる相州伝であります。
特に南北朝時代の“志津”(正宗などの流れで、相州伝として確立した土地の名)の写しは、変化にとんでおり、地金を見ていて“飽きがこない作品”と言われています。
有り難いと同時に励みになります。備前伝は、華やかな波紋と乱れ映りもあって、楽しんで頂けるはずです。
又、正倉院の刀子復元の依頼ですが、文化的意味からお受けした私の特徴となる一つになると思います。刀子とは、奈良朝や平安朝のみやびな人達の文房具的ミニ小刀。
貴族が使っていたものは華麗な撥鏤鞘であります。大宮人がその華麗さを誇示した誇りであったと思われます。現在も同様に、お守り,あるいは宝物としてお持ちいただく人がおり、日本の文化の足跡を伝える意味から誇りを持って造っています。

●玉鋼を材料として刀剣を造る。
●作刀の難しさは、修行時にしっかり研鑚を積むことが基本です。しかし独立してからの研鑚はそれ以上に意識して行います。美術刀剣といった観点もあり、感性は最も重要なひとつです。どの職人も同じですが、挑戦を続けていくことで、様々な発見があり、それが作品に現れ、楽しいことに、繋がっていきます。
過去の受賞暦
修行を終え、独立した一年目が昭和59年、新作刀展で特別賞の寒山賞を獲得。
それ以降は塾の刀剣24Pを参考にしてほしいと思います。
平成七年、無鑑査(刀鍛冶の最高位、現在 国宝を加え18名)に昇進。
この間に、高円宮殿下(故)のお子様三名のお守り刀、横綱の太刀。
メトロポリタン美術館からの招聘で、刀剣調査をする。
などいろいろあり実績のひとつです。

“日刀保 新作刀展覧会 刀剣P24〜25”参照

  常に好奇心と技の研鑚を心がけています。夏場の暑さは40度以上にもなる鍛錬所。
過去の刀匠達も私と同じであったはずです。体力と気力を充実させ作刀していたはずです。又、今の私の年齢を考え、過去の多くの刀匠がそうであったように、充実するのはこれであると信じています。これは私自身も “期待”するところであり、それに相応しくなれるように研鑽しています。ともかく私の刀を所持して頂いている人、これからお持ち頂く人達に対し、答えていくことも大切であると思っています。
  自分で掴み自分で積み重ね上げていく仕事です。他人からの評価は良ければ嬉しいが、自身を見つめて納得出来るものでなければ意味が無いはずです。これは私自身が心がけてきたことでもあります。

 

職人名 宮入法廣
雅号又は銘 法廣
生年月日 昭和31年1月29日
職種(種) 刀鍛冶
作品(アイテム)
技数(積)
次代、素人から始めて手伝えるような状態になるまでの期間
技の種類や工程
現在の立場(役) 生涯現役
次代 他  
   


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