職人の住む町
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小宮氏は29歳の時に祖父(初代、102歳で亡くなった)と父の三代で宮内庁賢所の畳替えをしたことが良い思い出と語る。
機械製作が主流であるが手技の両方を覚えたと言う。本物を見つめる時代を期待し手技も伝承していくべきと考え祖父と父に学んだと言う。大嘗祭の神座そして休む寝座そして坂枕等全て畳であり、微妙な角度など難航したと言う。又、皇太子殿下御成婚の御座も手掛ける。
畳は日本の気候風土から生み出された。米を取った後の藁で作られ、最後は堆肥となり、土に戻る環境にも人にもやさしい敷物だ。今の畳の材料は発砲スチロール等の新建材が多く使われているが、昔ながらの畳は湿気を吸収したり、蒸発させたりと自然のエアコンディショナーの役割も果たしている。ただ、昔と違い家屋に気密性が高くなった今日、極端に湿度の高い部屋には藁の畳は向かないかもしれないが、そのような部屋は当然健康にも良くないと云う。
畳は家や部屋の環境で持ちが違う。表面がちょっと傷んだだけで畳全体をそっくり変える業者が増えている。直接の注文ならば表だけを張り替えられる事を奨めるのにと残念そう。注文する側も知らない人が増えてきていると言うことだ。
又、畳は一畳一畳寸法が違い、ヘリの色や質等にも格差がある為、全て注文生産の形を取っている。現在も宮内庁や神社、仏閣などで使われている道具畳など、昔ながらの技で作る注文をこなしておりその結果、時代を大きく捉え100年200年の単位で考えるようになったと言う。もちろん一般の畳表の張り替えなども扱う。

■ 歴史
畳の原型は草を編んだ薦(こも)で縄文時代にはあった。奈良時代「古事記」に菅畳、皮畳の記述。「日本書記」に八重席薦(やえむしろこも)の記述。
平安時代、身分によって畳の大きさ、厚さ、縁の色柄を定めた。室町時代、小部屋割りに畳を敷き詰めが定着し始める。


  高校を卒業してすぐ仕事に入った。初めは祖父が手取り足取り教えてくれた。人はよく修行時代の厳しさを言うが、私の場合のんびりしたものだった。厳しさは施主や同業者から、言わずもがなに学んだことは多い。
23歳から畳組合の訓練校で基本的なことを学んだ事は大きかった。これが正しいという技術よりも、人によって技術も違って良いと言う事を学んだ。自分自身で研究し、工夫してみることが最も大切で納得できる。
  紋縁を使った厚畳や拝敷きなど紋を歪みなく正確に仕上げる。
  材料を無駄にしない。大嘗祭に使用された畳の製作技術や知識を次世代の職人に伝える使命があると思っている。
  私自身、機械での製作を主流としてきました。しかし、古い畳や有職畳に触れる機会が多かったし、実際の製作を任される事が多くあった為、何かと仕事を覚える事が出来ました。
機械化の中、難しいが自分から積極的に手作業の基本を知識として学んでいってほしい。

 

職人名 小宮太郎(こみや・たろう)
雅号又は銘  
生年月日 昭和29年4月3日
職種(種)
作品(アイテム)
技数(積)
弟子入りしてから手伝えるような状態になるまでの期間
簡単な敷き込み、寸法取も手伝いとしては直ぐ出来るようになるが、畳の製法など熟知していないと、寸法取も敷き込も任せられない。一概に言えないが10年。
技の種類や工程
寸法取り及び割付ー道具の使いこなし、手入れー材料の見立て、扱いー各種畳製作方法ー 敷き込み方ー修理、補修ー薄緑、床の間ー有職畳製作
現在の立場(役) 現役
次代 他  


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