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18才で先代の弟子になる。当時の仲間は競い合って技を覚えた。皆んな昼休みも返上して練習し勉強した。今考えればかけがえのない青春であり、懐かしい思い出です。溶接の技術が当時は非常に材質が悪く難しかった。
それだけに技を競えて張り合いもあった。 |
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手を抜かずに気配りのある製品を心掛けて来た。時代に一見逆行しているかの様な仕事と思われがちですが、今も月に普帳のリヤカーだけで50台は出ています。
先代とユネスコの依頼を受けアフリカに200セットのリヤカーの原材料と技術を教えに行った思い出がある。 |
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"品質、仕上げなど絶対に他には負けない製品" と言い聞かせてきた。
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お客さんが買うのは一台、したがって沢山作っているのではなく一台一台綺麗に作り、喜んで使って貰えることを考える。いい加減な気持ちでは綺麗なものは作れない。 |