森親方は洋家具から修行に入ったとのことで、洋家具と明かりの歴史について考えます。
洋家具は、文明開化がもたらした西欧文化のひとつですが、安政の通商条約(1858年)により横浜に“外国人居留地”が設けられ、外人が家具を持ち込んで来たことから始まります。
現在も“横浜元町”の洋家具作りは、外人の家具修理や製作を行なっていた名残です。技の習得は修理や帰国時に残していった家具の研究からとのことです。昭和初期には東京の芝に、洋家具生産地が出現しています。
大正5年生まれの平井親方は“菊の大きな紋章が入っている昭和天皇の椅子”を作った職人ですが、この“家具の街”について「通りの両側に家具店が並び繁栄していてそれはすごいものでした。」と語っていました。親方は品川と言っていますから芝とはいっても品川に近い場所と思われます。
次に明かりとの関係ですが、室内灯は、固定された照明具で俗に「行灯・あんどん」と呼ばれているものが原点となります。置き行灯おきちょうちん、吊り行灯つりちょうちん、掛け行灯さげちょうちんの3種を総称して現代では行灯又はちょうちんと呼んでいます。
※ 提灯(ちょうちんは行灯を持ち運び可能としたもの)
行灯は、木や竹に紙を貼って中に火皿を置き、油(荏胡麻油、菜種油、イワシの油など)を入れた中に灯芯〔とうしん〕(古い麻布を細かく裂いた物)を入れ吸い込ませ、先端に火をつけて使用します。蝋燭もありましたが高価であり室内の行灯には油を使っていました。
室町時代あたりから、町人文化が華開く江戸時代にかけて「部屋あかり」として大いに普及します。しだいに日本情緒あふれる光の美しさから“提灯と行灯”は室内の明かりとして融合し重要な生活の要素となります。繊細な指物師や家具職人の技法で作られことになり、江戸時代には様々な種類の行灯が創りだされました。
明かりの問題点は,電熱などによる乾燥です。しかも繊細で華奢な作りとなりますから“強さと歪み”を考えれば木にとっても紙にとっても最悪な条件であり、京指物以上に“木の素材作り”には完璧な工程が必要です。森親方の腕は、様々な創作照明具を発表と輝かしい賞の数々が示すと思われます。意欲は腕と比例するものであり、多彩な作品は挑戦なくして成しえないものです。特に親方が製作する和照明は“光と陰”を演出する美を基本とする本流であり、組子や欄間の指物のように「木の技と光の技」を多面に反映したものであります。
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