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戦前は七福神を中心にした手描きの宝船熊手は各家独自の筆法で神社の関係者が沢山作っていた。
吉田家は代々の鳶職。従って鵬神社の祭礼には門松から始まり初酉にまでかかわり合ってきた。もちろんこうした仕事は神社とのつながりがあり、他から入り込めません。しかも一旦離れてしまうと復帰は難しく、戦中はおじいさんが何とか店などを出し続け、繋いできました。
戦後宝船熊手を本格的に始めました。主人が亡くなった時、主人と神様に対して、はたして私に面相が書けるのか。どうかお願いしますと祈ったこともあります。(ちなみに今の熊手は成形された樹脂物で一見豪華には見える。しかし、縁起物を一年かかって一枚一枚作っていく伝統技は本物であり、作り手の心のこもったものである。)
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全て手描きの宝船熊手である事と、50年以上続いて買っていただけるお客様が自慢出来る特徴と思っています。
料亭など飲食関係、歌舞伎界、芸能界、芸術家、デザイナー、そして地方からわざわざ出向いて頂ける多くの方々に毎年御会い出来るのが楽しみです。
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昔からの形を変えない。先代の絵と同じ様にと心掛けています。
余談ですが、酉の市の当日、店で一度だけ弁天様が2枚付いている間違いに気が付きました。何人もが見ていたのに見過ごしてしまった間違いでしたが、お客さんが何かの縁だからどうしてもほしいとのことで、売れないとお断りしたのですが、出合いの運命を感じるとの事で買っていかれました。
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伝統を守っていくことですが娘がいます。心配はしておりません。 |