琴は柱を用いない七絃までの楽器を言う。一絃琴、二絃琴等。一方こちらの字を用いる箏(こと)は柱のある十三絃の楽器を言う。しかし一般的には琴と言う字を使っている。
三田村家は和楽器を作っている。箏、三絃、琵琶(筑前、薩摩)の製作と修理を行っている。氏は何でもこなすが専門は箏である。
箏は、唐より雅楽の楽器として伝来した。我が国では九州の久留米の善導寺の僧侶が筑紫流という箏の音楽を室町時代末期に大成した事に始まる。関西では生田流で八橋検校の孫弟子、生田検校が地唄と呼ばれる三味線と密接に関わり合い発達した。江戸の山田流は山田検校が箏の音楽として発達させた。いずれも筑紫流から生まれた。検校とは盲目の最高位の位と言う。昔は琵琶や箏、そして三味線などを弾く人は盲目の人が多かった。琵琶法師、津軽三味線の高橋竹山氏や“贄女”と言われた旅芸人なども盲目であった。従って箏の仕上げは角張らずに手障りを良くしてある。
■ 歴史
奈良朝初期、楽箏として伝来。室町後期、箏曲として大成。 |