“包丁は堺”と言う図式は、16世紀中頃にポルトガルから鉄砲と共にたばこが伝来した事に由来する。鉄砲鍛冶の技が基本となり、たばこの葉を刻む包丁を堺で作った。優れた切れ味から幕府の目に止り専売品として“堺極”の刻印を打って全国に広めた。当時は幕府の命で江戸の職人も堺に流れたと言う。
芦氏は分業の多い堺にあって、納得できる仕事を目指し全工程を一人で行っている。指が動かなくなる事故を起こし奮起し、機械を改造して仕事に復帰した。伝統をしっかり見据えながら、堺にあって新しい波と刺激を求め異業種などとも交流し夢に挑戦していく。
ナイフなども作るがクラフト型の削り出し製法のナイフではなく鍛造による堺ならではの物となっている。
■ 歴史
16世紀の天正年間に、堺でタバコの葉を刻む為の包丁として作られたのが始まり。 |