職人の住む町
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病気知らずの親方が、最近病で倒れた。壊れそうもない人である。仲間内では驚いたが、最近回復し、そろそろ仕事を始めるかと言った所にお伺いした。鋏の他にも色々と作る。
小刀、槍鉋、芸大から頼まれてのエッチングの道具、三角形でどのように叩くのかが疑問であった。特に面白かったのは、江戸鋏の開祖、刀鍛冶であった吉田弥十郎が始めて真似をして作ったと言われている原形のメリケン型の鋏。大きさは40cm、ずっしりと重い。
今のラシャ切り鋏に非常によく似ている。もう一つは弥十郎が改良して作った鋏、形は今のラシャ切り鋏とほとんど変わらない。この二つを親方は再現した。何にでも挑戦する好奇心に溢れている。同時に晩年の弥十郎の鋏、弥吉と号が打ってある物を見せてもらった。
感激であった。しかし、親方の話では、素晴らしい鋏であるが、晩年と考えれば弟子の代作ではないかと言うことであった。ここで又、夢が膨らむ、弟子とはいったい誰のことなのか。興味津々である。兼吉か長太郎か、あるいは与三郎なのか。現在の江戸鋏の主流は長太郎系と兼吉系に二分される。北島親方は兼吉系である。兼吉の弟子が、当代のお爺ちゃんのようであった民太郎、そして父の平三郎と続く、当代親方は、兼吉系の最後の火造り継承者である。
病み上がりとは言え、火造りの話には熱が入り、体からパワーがほとばしる。趣味は多種であり、絵心も確かであることは、親方が彫った彫刻を見るとわかるが、プロ顔負けの物が沢山有る。厳つい風体とは裏腹に繊細な日本的趣味も持っています。当然、好奇心と探究心はかなり旺盛であります。それゆえに全国でも数少なくなった総火造りの技を駆使して、まだまだ活躍し頑張ってもらいたい親方のひとりであります。
■ 歴史
江戸から明治に変わる廃刀令の時、刀鍛冶、吉田弥十郎がメリケン型の鋏を模倣して始めた。


  17才頃から仕事場に出入りはしていた。父に師事するといった形で始めたのは20才頃と思います。26才の時、親方が突然他界し、大黒柱としての責任からまじめに仕事に打ち込む形となりました。不思議なもので、30才あたりから仕事が面白くなり本気でやり始めました。長男だからしかたなく継いだ仕事でしたからこれは不思議でした。今は楽しみながら仕事をしています。
  吉田弥十郎(銘は弥吉)から始まる江戸鋏の流れが気になり、始めに弥吉が模倣した鋏からの流れを自ら掴んでおくべきと、職人として実際にその時代の鋏を作る事で、歴史と足跡を歩きたいと考え、その時代のメリケン型の僅かに残っている鋏を見て、作ってみました。大きな鋏で、日本人にはとても扱えないと思われます。次に弥吉が作った改良型これも作ってみました。今のラシャ切挟の原形となる物です。それ以降は今のものとほとんど同じです。現在、江戸鋏の系列は、長太郎系と兼吉系の二つになってしまいました。その中で、火造りをする人は兼吉系の私を入れ全部合わせても数人となってしまいました。これも一つの特徴であります。
 
  納得してもらえる本物を作る。
   

 

職人名 北島和男(きたじま かずお)
雅号又は銘 平三郎
生年月日 昭和13年
職種(種) ラシャ鋏
作品(アイテム) ラシャ鋏 槍等
技数(積)

次代、素人から始めて手伝えるような状態になるまでの期間。
10年は当たり前で、極めようとすればする程、難しくなっていきます。鋼など新たな材料の進化もあり、一生追いかけ続けていく感じです。
難しさは基本的な事が大切です。覚える事より、体験し体で覚えます。最近の人はすぐ教えてくれればと思うらしいが、腕というのば、教わって出来る物でもない。ひたすら身につけるしかない。これが分からない人が多い。

技の種類や工程
鋏は通常の刃物とは異なり、二枚の刃物を組み合わせて完成する。成形など火造りはもちろん難しいが、それにもまして切るという行為の、調子を出すことが鋏職人の腕となります。従って職人ごとに個性が出てくるものです。ほとんどの場合、町の研屋さんでは、研げると書いてあっても、非常に難しく研げないと考えて頂いた方がいいでしょう。
現在の立場(役) 生涯現役
次代 他  
     


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