職人の住む町
HOME 名工会の主旨 名工会の概要 職人の町一覧 職人技市 日本の技博物館 応援団 検索
common

出川親方

2000以上のパーツの一つひとつに蝋付けしては留めてゆくだけの気の遠くなるよな作業です。親方の技術は極めて高いことがこれだけでも容易に伺えます。 どのパーツに問題があっても歪みが出たりしなやかさに影響が出てしまっては、せっかくの見事な編込みの感動に水を差します。しかし親方のアクセサリには 軋みや歪みはどこにも見当たりません。

完成度が極めて高い場合には、作家が見えてこないと言う問題があります。時々、細工の善し悪しは感受できても 作り手本人のことまで思い描かせることができない職人がいます。作品に差し挟めるイメージがないくらいに 完成されている証拠ではありますが、奇しくも名工と呼べる人間にはそういう逆説がつきまといます。親方の鎖は“本物は見れば分る”と言う 世俗的な定義が当て嵌りません。まず類似したアクセサリはあっても、ストイックさを詰め込んだ様な細密さを持つリングは 実際に一つも知らない筈です。

海外の著名な画家の展覧会ならば列をなして人が集まるものですが、しかし国内の優れた人の展覧会は一様に寂しいものです。 まして客足で匹敵するのは大抵は海外で有名になった人というのが日本の。いささか厳しい言い方にをすると、 半ばアマチュアの発想で作った物の方が「素人目にも明瞭」で「新鮮み」があり「身の丈」であり「分りやすくて説明が不要」と言うことです。 もっといえば、持て囃し易いものを作る人がもてはやされるようにと増え、そしてそればかりが持ち上げられる構造にも難があります。 技術に定義はなくとも本当の意味での文化意識は曖昧になるのです。

また、自身より優れた技を持つ先人がいない技術者の苦難を理解するのは難しいことです。こういった職人達は“他には絶対負けない”という 自負は持っていても羞恥心があることも多いのですが、出来れば親方のような技術はなるべく表にあって欲しいものです。 職能を得ても研鑽すべき立場に自分を置いており、こういった仕事を差し置いてまで不遜を言うことは出来ません。 親方は紛れもなく世界一のランクにいる職人であり苦闘の履歴が伺えます。アクセサリは飽きないシンプルなコンセプトのものが多いです。


common
common
  1974年 当時の手作り時計のバンドの仲野製作所に入社。ロレックス他など海外の時計メ ーカーのベルトなども作っていたトップメーカーでした。 1979年 セイコーの最高級ブランド“クレドール”がスタートしそのベルト作りに携わり ます。当時は縄のベルトはありませんでした。 1980年 仕事をしながら、約四年間、一般的な貴金属の技を習得する為、日本装飾クラフ ト研究所などで研鑚します。昼は仕事、夜は勉強の毎日でした。 1989年 仲野製作所から独立します。 その間、雑誌などに職人として紹介されたり、縄編みの鎖を使った装飾品などを 作りながら現在にいたります。
  技の製作難度の他に、材質硬度も細かい技ゆえに大きく影響します。 プラチナはK18と比べると粘りが強く、バリがたちやすく、傷もつきやすいので、材質を計算に入れ全ての作業を行います。
 
使うのは主にやっとこと蝋付です。
common
リングひとつひとつは2ミリ程度です。
ごく微差のリングを滑らかで軋みなく編組する
common
デジタルカメラの拡大に耐える精緻さ
 
時計のベルトやネックレスなどは、18金ながら一般的なスチールベース以上の剛性に仕上がります。
common
common
座右の銘
  別にないのですが、常にお客さんと関係者を驚嘆させる技であり続ける事、さらにその研鑚に伴なう姿勢の職人であることを目標としてきました。
  世の中の“文化意識が低い”のは職人全てが語ることですが、私も同業の職人を見ると価値が正当に評価されていない人が多いようです。もちろん今の風潮ですから逆の場合もあります。技的に疑問を感じる職人でも自己を売り込む自画自賛を繰り返し、これが気付かれずことのほか素人から受けています。これは自己に都合のよい方向で語る人である為、文化的にはマイナス、破壊していく姿勢です。今の風潮ゆえに有頂天でいるのです。 客との騙し合い状態です。だから世の中うそ臭いはずです。 これは生き方から来ると思います。言い換えれば価値が判断できないのは、個人個人が“自身を鍛えているかどうか”によって“見せ方や見え方”が違うのです。 修行の素晴らしさは実践であり、それを通して自身を見つめます。ゆえに相手のいい加減さも見えるようになり分るようになります。自分を鍛えず他人を見ることなど出来ません。 自身の不甲斐なさを見つめ修行する意識のようなことが必要です。 従って、思いだけの割りきりばかりが多くなり、文化を捉える姿勢など他人事の一つでしかないのです。師弟関係にしても、立場も考えない人が多くなり、単に教えてくださいだけの理屈です。弟子を取る気がなくなります。もちろん本物の職人もこうした環境の壁があり育てられないはずです。これは一般的な職人の持っている意識です。 “弟子の希望者はいます”が取る気がしないのです。当然、風潮から捉えれば、弟子を取れる状態でもありません。教わるのに働くような気でいることも困ったものです。

 

職人名 出川正義(でがわ・まさよし)
雅号又は銘  
生年月日
職種(種) 貴金属加工
作品(アイテム)
技数(積)
弟子入りしてから手伝えるような状態になるまでの期間
技の種類や工程
初期の締縄の手編み風チェーンは明治の頃から始まりました。ごく最近までねじりの方向が異なると別の職人が行い、これを組み合わせる分業でした。 逆にねじる技法は全く別の修行が必要です。いくら真似ても全く上手くいかなかったのです。当然、様々な問題が生じます。組み合わせた物が装飾品であることから緻密さ、動的調子と柔軟さが美意識とともに要求されます。結果として異なる職人の技の差や調子の違いなどもあり調整に苦労するといったことがごく普通でした。ここが問題となります。 特に気になり始めたのは、脚光を浴びた仕事、ヨーロッパのショパールの商品以上のもの作る。という依頼から研究がスタートした時期と重なります。 今から30年ほど前です。私と組んで行ないます。すでに二人しかいませんでした。 組み立ては各種のヤットコという道具を使う手作業と精密な蝋付けが主な仕事です。 相手がご高齢であることから、技の消滅の心配が常にあり、完全な技の習得が急務でした。残念ながら的中し20年ほど前から一人で行うことになったのです。 セイコー クレドールの縄編みベルトは私の一人で全てを完成させました。 工程自体は簡単です。K18の極細針金をコイル状に巻きつけ、ひと巻きごとに切断して小さな輪を作ります。これを手先の道具で組み上げるのです。 2000以上のパーツの動きが、柔軟で不自然さがなくスムーズでなくてはなりません。 つなぎ目も作らない手法で組み上げます。 これはどなたが調べて頂いても分らないはずです。
現在の立場(役) 現役
次代 他  


Copyright (C) 2002 WAZA All Rights Reserved.