皇后 美智子様のご成婚の式典の髪に飾る櫛を作った名工。40年枯らした幻の材を惜しげもなく使う。親方は大正14年生まれであるが、07年6月頃から視力に限界を感じ始め、引退を決意、少しづつ仕事を減らしながら当会と柘植櫛の知識を記録する為の作業に入っている。江戸の明確な歴史を伝承する職人であり、名工会の殿堂に迎えた。
柘植櫛の歴史といぶし銀の技、
それだけではない。 江戸の柘植櫛組合、最後の組合長が武蔵屋本家である。
明治初期の頃の“柘植組合100年記念”の写真が組合旗と共に、富田親方(武蔵屋本家)の家にある。その写真の中で現存している老舗は武蔵屋(縦櫛製造)と十三や(横櫛販売)そして浅草の“よの屋”(横櫛販売)さんがいる。
富田親方は大正生まれで柘植櫛業界の最長老である。
父親に師事、天皇陛下の御成婚の時、美智子妃殿下のお垂髪(おすべらかし)の髪に、父と一緒に作った櫛が飾ってあったことが“忘れられない思い出”と語る。
技の確かさに加え他の職人との大きな違いは知識である。
江戸の日本髪が正にここに有り、櫛の呼び方などにも縦櫛屋の直系である事が分かり,歴史を知る唯一の存在である。
しかも親方は、今時あまり聞かれなくなった江戸訛りで話してくれるところが嬉しい。
もう一つは材料の品質が上げられる。
柘植は大変成長の遅い木で、1cm大きくなるのに10年かかると言われている。
殆どがマル十と言われる薩摩のもので、御蔵島産は今でも将棋等に使われているが、櫛用としては今は良いものがなくなっている。又、噴火により絶滅した三宅島の櫛材などいずれも40年物の逸材を豊富に貯えている。廃業した柘植職人が本家である武蔵屋に残していった材もある。
当会と知り合った頃、親方は引退状態であったが、この材料を “使わなければ可愛そう”といった気持ちは強く有った。まして多くの職人達の残した材でもあり“自分の代で使ってあげることが出来れば”という事で、当会が親方を引っ張り
出したのである。それから数年経っているが、目が悪くなってこられ、実に残念である。
現在、少しずつ仕事を減らしている。 |