実に興味の湧く面白い物を作る。技を見せる為に掘抜いた飾り玉。一つの木から抜き出すもので始めは親方の技術に近付く修練として行った。この技術は木の選定から乾燥、細工に至る全てが揃って初めて出来るものと思える。
森氏は親が指物師でその血を受け継いでいるが、親が早くに亡くなり宮大工の修業、建具作りなど時代の中で流されながらも腕を磨いていった。42歳の時、自分の志す指物をやるべきとの思いから独立した。森氏のルーツは彫刻家日名子実三(ひなこじつぞう)までさかのぼる。日名子実三は近代彫刻の重鎮、朝倉文夫らと東台彫塑会を旗揚げした凄い彫刻家。森氏の親方はその弟子で日名子実三の彫刻に13年間参加した。しかも宮大工としても有名な人で国宝などの修復も手掛けている。森氏は親方が晩年欄間の彫刻を手がけていたが、それは見事な物であったと奥さん共々語る。それゆえ森氏の指物を見ると手間ひまをかけた作品が多い。現在の掘抜き宝玉と命名した作品や、器、そして机など随所にその影響が見え、沢山の彫りを加えなければ出来ない作品が多い。彫刻刀なども自分で作らなければ絶対出来ない形もある。
また、日本職人名工会会長の談志師匠の大ファンで笑点以前からで、かれこれ40年程になるという。師匠が職人に目を向けられたことはその道を歩いてきた者にとって誠に有り難いと語る。銀線細工の須藤氏とは共に苦労人であり信頼感で結ばれていると推測する。
■ 歴史
明治以前、先祖が木の中に玉を彫った物を見て参考にしました。 |