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小学校5年生の時、優れた建具職人であった父とともにサハリンへ渡りました。学校に行けと叱られたが父より先に仕事場に入り職人の技を覚え、時には鉋や金づちを持って手伝い自然に仕事を覚えていきました。
昭和22年に秋田に戻った。父と共に建具屋の看板をかけた。3年後、近くの医師から襖に飾りの模様を入れてほしいとの話を頂き、組子細工を初めてやった。喜んでもらった。評判や噂を聞いた建具職人が、見に押し掛けた事で勉強しなければ恥ずかしいと組子を独学で始めた。自分の技術レベルがどの程度なのか不安で秋田市の建具職人に見てもらいに行った。その段階で素晴しい建具があったが内心自分の方が上ではないかと思った。
そこの主人が留守で後日是非会って話がしたいとのことで自信が付いた。 |
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今の立場と一職人として他の職人の真似が出来ない為、常に考えて独自性を追求している。 |
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己を知る。父と共に自然に覚えた技が活きていますが、師を持たなかった私は自分がやらなければと考える時、“師匠は自分自身の根性です。”と答えます。(自問自答の日々は根性があるかどうかで決まります。これは本当に戦っている人しか知り得ない内容があり、刹那刹那の自分との戦いこそ結果に繋がる道と考えます。 |
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預かり弟子を何人も抱え、「かかこ(妻子)にみじめな思いをさせたくないべ」と秋田訛りで励まし「理屈じゃない、やって覚えるしかないんじゃ」すでに30人が巣立っていった。 |