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明治43年創業の3代目の自覚。樽屋の仕事は全て見習い、習得。「世間に出して笑われる作品を作るな。」が父の格言。怪我は気のゆるみと、血だらけでも仕事を休ませる事のない、頑固な指導。その為、刃物に恐怖心が湧くほど手先に集中。
醤油屋の樽納期10月〜12月は1日15時間、一ヶ月休みは4日だけという重労働。醤油の容器としての役目が終わって昭和40年以後は最後の樽職人としての意地で、民芸品など生きる道を探して四苦八苦、第二の人生として新技法を導入。是非は自分でも判らない。 |
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醤油樽の美は雑草の美。工芸品でない美しさを竹のタガに求めた形、秋田杉の赤身の良いものを使って、キッコーマン海外事業部の納品となった醤油差し。秋田杉の木目のゆるみを長野のサワラ材と抱合せて乾燥を防ぐ創作花器。醤油樽技法だから出来る樽太鼓の音の良さ。長野オリンピック閉会式フィナーレに採用されるまでの26年間の材質しらべと独自の秘技。 |
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伝統とは現代に必要なものを作る事。(その基本の技は200年の醤油樽が中心)毎日が人の喜ぶ華のある作品を作りたい。来る人もまた来る人も福の神。 |
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たった一人の弟子とも思う栃木市の荻原幹雄氏が伝統工芸展公募展に昨年入賞。
本当にうれしいが樽職人は工芸家ではないという心は忘れずにと思う。 |