職人の住む町
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ベ−ゴマ製造唯一の職人である。もっともベ−ゴマだけを作っている訳ではない。昭和45年に、知り合いでベ−ゴマを作っていた最後の鋳物職人に、日本で一軒だけでも残しておきたいと頼まれ、生産を肩代わりしたことがきっかけである。ベ−ゴマに関しては単価も安く、毎月赤字になると言う。例えば子供達から紐二本(一本10円)といった依頼が十通来るとこれに2時間費やすことになる。人件費を考えたらやっていられない仕事である。しかし、最近では集団で遊ぶ事が苦手な子供達や、手先が不器用な子供達に楽しさを教え、自信を持たせたいと言う事から注文が入ると言う。
ベ−ゴマの由来は平安朝のバイ貝遊びなどの流れから来たとも言われ、見直されて各地にベ−ゴマの仲間が出来ているという。ついに協会も出来て、継続は力なりを見せ始めた。
ベ−ゴマは小さい鋳物であり、面と向って技を云々する人はいないものの、技的には理解されにくい職人であると思う。しかし最後の職人としての自己の立場や責任、そして自覚が親方から感じられる。子供達や愛好者達の夢を繋げていく大きな決意と優しさ 、それを続けて来た誇りを感じる。間違いなく名工のひとりと見た。

  戦争中は父親の鋳物工場で働いていた。終戦後、明治大学に入り卒業後、父親の鋳物工場に入り、鋳物のイロハを叩き込まれた。
昭和28年、日三鋳造所の設立と共に、工場長として働き40年以上現場で鋳物作りをしながら社長業をこなす。昭和45年より、わが国でただ一軒のベーゴマの製造工場として今に至る。真夏の工場では塩をなめながら作業をした。時々、気が遠くなった。
  1〜2トンという重量の鋳物と異なり、30gの小さな鋳物はバランスと精度を求められる。キューポラでの溶解は、温度などに左右されるため非常に神経を使う。また、鋳込は一瞬が勝負の為、技術を要する。溶けた鉄が、綺麗にベーゴマの砂型に流れていく技は、熟練を必要とします。
 
  いつまでもベーゴマを作り続けて、子供達や大人にも楽しんでもらいたい。継続は力なり。
  ベーゴマに愛情を持って、続けてほしい。

 

職人名 辻井五郎(つじい ごろう)
辻井俊一郎(つじい しゅんいちろう)
雅号又は銘 ベーゴマのおじさん
生年月日 昭和3年11月22日
職種(種) ベーゴマ
作品(アイテム) ベーゴマ、オリジナルベーゴマ
技数(積)
次代、素人から始めて手伝えるような状態になるまでの期間
2〜3年。通常の機械部品製造の配合より、カーボン、シリコンを高めに設定して溶解し、通常より高温で注湯する。
技の種類や工程
ベーゴマの金型作り(元型)、砂型作り、キューポラの溶解作業、溶湯の鋳込作業、仕上げ作業(磨き)、製品の検査。
現在の立場(役) 指導的立場、経営管理
次代 他  
   


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