|
|
|
|
小学校5年生の時からコークスを細かく砕く仕事をやらされた。やらないと遊びに行かしてもらえなかった。次に粘土を水に溶くことなどこれらの仕事は誰かが
必ずやらなければならず一番下働きがやる事となる。これは何年もやった。親方が3代目で初代が鋳物を中国で覚えてきた。 息子さん4代目隆之氏は小学校の頃
遠足で行った秩父の宝登山神社の鳥居に父が作った額があり、「これは親父が作った んだぞって、大声を出したい気持ちでした」誇りが鋳物師の道を歩ませたという。家が家業をやめたら祭りの神輿はどうなるんだ。そんな気持ちで修業しています。隆之さんは語り、父源一郎氏の元で修業の日々を過ごしている。
|
|
|
|
|
|
蕨手(神輿の4隅にある太い組紐がかかる屋根に突き出した部分)を龍頭としたのは2代目の仕事という。富岡八幡宮の巨大な神輿は凄かった。台座が1m65cm重さ4.5トンに達した日本一大きな神輿である。飾りには純金の板、鳳凰や狛犬の目にはダイヤモンド、鶏冠には約2000個のルビーを使った。浅草三社の宮神輿は2代目、神田明神は3代目、国宝中尊寺の仏像の蓮の花など沢山の仕事をやってきた。現在東京地域では一軒のみで代々続いてきた金型が残っているのも特徴と言えなくも無い。
|
|
|
|
|
|
|
|
|
神輿に関しては部分担当ですがともかく見栄えのする物、喜んで貰える華やかさを頭に描きながら作っています。 |
|
|
|
|
|
別にありません。 |