前田藩百万石は “華やかな文化”を持って支えられた。
漆の技はその代表であります。
百万石の加賀藩は、外様でありながら日本最大の禄高であります。それを守る為に“幕府を刺激しない美術工芸”に力を入れました。指定職人による細工所を作り“蒔絵、漆、紙金工、絵、針、具足、薫物、小刀、象眼、刀鍛治、研物、茜染、大工、御能作物、束帯装束着”など23種を決め参加した職人を優遇したそうです。
石川県は1471年頃から蓮如上人の布教が始まり、浄土真宗の地でもあります。
仏壇を作るきっかけです。招いた職人や応仁の乱(1460年代)から逃れた職人なども参加して仏壇作りが始まりました。まず美川が15世紀、続いて17世紀に金沢仏壇、七尾仏壇と広がり石川県は日本最大の仏壇産地になります。美川仏壇は、すべて手作りで”堅牢、荘厳、華麗”など最高峰と言われ、この地域にしかない技、特殊な堆黒(ついこく)を始め下地塗、虫喰塗、螺鈿など固有の技が特徴です。現在もその伝統を守っています。又、美川は「北前船」の寄港地でありこれも繁栄した理由です。海路を使って各地に販売しました。
昨今、品質の美川仏壇の“贋作”が出回り「商標登録」を慌てて申請したそうです。
「“職人らしからぬ汚い真似”をすることなど考えた事もない」土地の気質です。
さて今回御紹介する“山本親方”ですが、近年の世情や、住宅事情、そして手作りというコスト高もあり仏壇を小型にする必要を感じ“伝統を継承”しながら試行錯誤を重ね、卓上サイズを完成させました。本物の高級仏壇“厨子”は小さくも手抜きなし、シンプルで洗練された美しいフォルムは人気があり“美川仏壇の新しい形式”を作ったようです。親方の「本物を重視する姿勢と人柄」は“技が乱れてくる昨今”仲間の職人を集めて「本物を守る」活動を行うなど、地域の技を牽引する気概に溢れています。
歴史
15世紀半ば、連如上人の北陸下向を前後して美川仏壇の歴史は始った。 |