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昭和36年から独学で始めた窯です。きっかけは焼物教室を任せられたことからで、弟子入り修行はしていません。焼物がこの地で多数焼かれていたことは分っており、その経過を踏んでの地域の窯の創出でした。毎日、早く寝て深夜に起き明け方まで勉強し、実践的体験を続けました。歴史のある窯元の人達の修行に追いつき追い抜く気持で取り組んでいました。地域の焼物の故郷となる為に歴史を埋めていくという姿勢で挑みました。昼間は教室の管理、人との交流、全ては焼物環境作りに振り向けました。皆で創った窯は、地域や人との関係を示す文化的証明です。焼物の故郷にとっては必要な力の集合であり、気付いた時には、登窯や穴窯など7種の窯が出来上がっていました。平成7年の頃です。多くの人達と仲間の力に感謝します。これから挑戦すべき事はいくらでもあります。今まで同様、仲間と共に楽しく精進出来れば幸せです。
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窯としていくつかの明確な事項を掲げました。一つは何の変哲もない生活器が焼物の原点にあるということです。もう一つは、現代の焼物事情から窯元としてどうすべきかと言う特徴です。昨今、地域性が崩れ、例えば東京に住んでいる陶芸家も全国各地の焼物と同じようなものが作れるのです。粘土や釉薬など原材料の物流が出来上がり、味わいも再現できます。しかも地元に負けない上手な人がいます。こうなると地域の窯元としての課題が突き付けられている気がします。縄文の時代は互いに協力し器は自身で作っていましたから各地に窯元が沢山あり、それは今と同じです。しかし現代は作品として求める人、個人欲求もありますから、窯元としても結局気に入られるかどうかなども“ひとつの文化”として必要です。当窯の特徴はまず“地域文化と交流”という大前提があり、たくさんの窯種も見られ、“使う人の意識”の中に“台ケ森焼”を強く印象付けることが出来るはずです。文化交流の視点から望まれる器を窯元ならではの企画として実施しています。焼き締める温度は他の窯元よりはるかに高温で行っているため大変丈夫です。また、お好み企画として“男の料理シリーズ”なども作ってみました。一度、当地へ遊びに来て下さい。七つの窯の見学とそれぞれで焼いた器もご覧頂けます。 |
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“無・空・有”
無我夢中で没頭する意識こそ本当の無心であり、心掛けるというより経過としてそうなっていたようです。土と釉薬、窯元としてこの条件が揃えば、あとは技と火のコントロールになります。文化として捉えれば、焼物は人との関わり合いや交流のなかで必要になる器です。あるいは窯も含めて、先人達の実践してきた事実が見えます。創造の道から捉えれば過去と未来に広がり思いは無限、気が遠くなるようです。こうした現実を前に、新たに追いかけてきた道であり、無理する事も出来ず、結局背伸びせずの日々、良いものができれば素直に嬉しいといったことで、今日一日を楽しくと心掛けています。これは地域に焼物の里を作るという重圧から自身を守る方法でもありました。有名な窯元と異なり、伝承された技はなく、その意味でメリットもあって、これからどうするかなど実に愉快な面も考えています。
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何をするにしても仕事となれば“人との関係”の中で活きることになります。その中での焼物の原点は生活器にあり、交流の対象としてやり取りされたはずです。焼物がもし単なる“好き嫌いを繋ぐだけの趣味”となれば、個人意識だけの焼物師となり、文化意識や歴史の大切さが埋没していきます。地域や焼物の歴史は構築できません。技術面がいくら向上しても、焼物の原点や歴史を忘れることがないようにしてください。間違っても“伝統にこだわる事は無く”等と言ったおごった言葉は使わないようにしてください。技も窯も釉薬も自分で考え出したたような顔は出来ないはずです。作品がいくらそれらしく人を騙せても、姿勢が甘ければ本物とは言えません。自身の満足感が掴めないはずです。当窯は生活器が旗印。今の私もそれを認識しながら歩いています。同じ道を歩いていても創造の世界は無限であると思います。
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