職人の住む町
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小さな木版を布に押し付ける作業で、我々の知っている染め物の技法からすれば、実にインパクトの弱い、写真にもなりにくいものを想像していました。
しかし、この認識は全くの間違いでした。作品を見て従来のどの染め物とも異なる素晴らしい味わいと、柔らかなタッチに驚きました。全国に2名しかいないと言う点でも貴重なものです。日本においては、型染めが主流ですが、遠く、インドなどから更紗以前に入ってきたのではないかと考えられるもので、更紗等には木版を使ったものがあったそうです。しかし、ほとんどは生産性の高い、型染めなどに取って代わり絶滅してしまいました。戦後に少し見直された感もありましたが、あまりに手間がかかる為これもほとんどが続きませんでした。
きっかけはインドネシアや、インドなどの木版を貰った事から始まったそうです。好奇心から始まった技は、始めの内は版木の大きさ、つなぎ目の問題など様々な壁に突き当たり、苦戦しながらひとつづつ解決してきたと言う事です。ともかく、型染めと異なり、世界に一つしかない着物は、手描き友禅同様、技として実に手間がかかる作業で成り立っています。
技の完成迄の自問自答の世界は、多くの素晴らしい作品が物語っています。名工会がもっとも重視することは、職人として本物であるということが条件です。日本の技文化である職人の世界は、自己研鑽による精神文化が常に醸成されている事も重要な要素です。これを抜きに日本の文化を語ることは出来ません。信じた道を歩き続けてきた親方は、正に誇り高き職人のひとりです。加えて、親方の型染めの紅型等、親方独特の雰囲気があり、どれを見ても素晴らしいものでした。
■ 歴史
型染め、木版染めは江戸時代、室町時代に武士の着用着として日本で生まれ、やがて多くの女性達の衣裳として日本の着物染めとなりました。

  昭和29年、日本伝統工芸技術保持者、石井孫兵師に師事。江戸小紋の技術を学ぶ。
3年間は小僧としての下働きで、4年目からその技術を少しずつ学び初め、5年間の修行の後ようやく職人としての仕事を与えられる。10年間の後、独立。現在息子と共に型染め、木版染めで独自の作風を作り出している。他にはない私と息子との作品には自信がある。
  型染めは日本古来の伝統の中から生まれたもので日本独自の伝統です。小さな1枚の型紙を使って染めていく技術も、年々その技術者がいなくなり機械等による技法になりつつあります。手染めの技術は奥の深い他にない作品を作り出せます。手間の数だけ作品も応えてくれます。全ての作品に自信を持っています。
 
  ごまかしのない本物は必ず人は見てくれる。100点の作品があればその1点1が全て異なる作品になる。しかし、その技術技法は先達が伝えてくれた技1本のまま。
  日本古来の伝統の職人達の技を日本人はもう一度見直してもらいたい。日本は技文化の世界一であることを。

 

職人名 藤本義和(ふじもと よしかず)
藤本哲生(ふじもと てつお)
雅号又は銘  
生年月日 昭和11年3月29日(義和氏)
昭和43年12月28日(哲生氏)
職種(種) 木版染め
作品(アイテム) お祝着、振り袖等
技数(積)
次代、素人から始めて手伝えるような状態になるまでの期間
5年
技の種類や工程
和紙を漆や柿渋などで張り合わせ、その紙に柄を彫って型紙柄を作り、米粉、モチ粉、ヌカ等を混ぜて糊を作り、その糊を型紙によって生地に糊付けをしてから板を染めていく。
現在の立場(役) 生涯現役
次代 他  
   


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