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中学校の頃から家に帰ると遊びに行く事も出来ずに手伝わされていました。20才の頃から父に師事し、本格的に勉強する自覚が出来たのは23才の頃だったと思います。絵の勉強も必要に迫られ、勉強してきました。1956年文化学院 デザイン科を卒業しました。当時は夜中の11時、12時まで仕事をすることは珍しい事ではありませんでした。 |
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型絵染めは芹沢圭介氏によって完成されたものです。その関係から、私も紅型を学ぶことになり、様々な紅型の模倣をおこないました。しかし、東京にそのまま持ち込むのは、単純に真似であり、和装の形式に直すことも必要でした。又、紅型は和装にはない色もあります。
着物に合う色と型染めの伝統を土台に、父から学んだ着物の染めの技、芹沢圭介氏からは進むべき方向を学びましたが、ともかく自分なりのカラーが作品に出てくればと常に考えています。 |
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日本の物を残したいとの思いだけであります。外国ブランドばかりに目が行ってしまう日本人に対して、何とかしてほしいと思うと同時に、日本の文化が消えなんとする今、私も頑張らなくてはと思っています。 |
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ともかく集中力を付けて下さい。日本の職人技は全て同じだと思います。 |