職人の住む町
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日本橋浜町の染物屋さんである。明治10年創業の紺屋から始まり、職人の藍染め半纏を作っていた。当代は3代目である。浜町と言えば昔から粋な町。浜町河岸と枝垂れ柳、小舟、 どこからともなく聞こえてくる粋な三味と小唄等、当時の情景を彷佛させる。
明治座は明治6年喜昇座から名前を変えながら現在の小屋となった。親方の家は、その裏手、歩いてすぐのところにある。又漢方医学復興の地でもあると言う。
浜町の歴史は意外に浅く、江戸の中期あたりからの埋め立て地。粋な江戸のど真ん中、半纏から始まった特徴的技、舞台衣装や今の若者達の趣の方向性を、新たな形で融合出来るような、他の着物にはないインパクトと可能性を感じます。当代親方は誇り高き浜町の紺屋を進化させてきており、新たな日本の技の伝承を期待できる職人として考える時非常に興味あるものです。
※ 型絵染めと云う言い方は、国宝の芹沢圭介氏(正しくは、圭に金ヘンが付きますが当PCには見あたりません)が1956年に国宝になった時、この呼び名を芹沢氏が使ったもので、言葉としては新しく技法としては従来の小紋など分業で昔からあった技術です。柳宗悦を師と仰ぐ芹沢氏を、親方は心の師と仰ぎ、多大な影響を受けています。

  中学校の頃から家に帰ると遊びに行く事も出来ずに手伝わされていました。20才の頃から父に師事し、本格的に勉強する自覚が出来たのは23才の頃だったと思います。絵の勉強も必要に迫られ、勉強してきました。1956年文化学院 デザイン科を卒業しました。当時は夜中の11時、12時まで仕事をすることは珍しい事ではありませんでした。
  型絵染めは芹沢圭介氏によって完成されたものです。その関係から、私も紅型を学ぶことになり、様々な紅型の模倣をおこないました。しかし、東京にそのまま持ち込むのは、単純に真似であり、和装の形式に直すことも必要でした。又、紅型は和装にはない色もあります。
着物に合う色と型染めの伝統を土台に、父から学んだ着物の染めの技、芹沢圭介氏からは進むべき方向を学びましたが、ともかく自分なりのカラーが作品に出てくればと常に考えています。
 
  日本の物を残したいとの思いだけであります。外国ブランドばかりに目が行ってしまう日本人に対して、何とかしてほしいと思うと同時に、日本の文化が消えなんとする今、私も頑張らなくてはと思っています。
  ともかく集中力を付けて下さい。日本の職人技は全て同じだと思います。

 

職人名 大塚茂議(おおつか しげのり)
雅号又は銘  
生年月日 昭和9年2月1日
職種(種) 型絵染め
作品(アイテム) 振り袖、小紋、型染め、手ざし
技数(積)
弟子入りしてから手伝えるような状態になるまでの期間
5〜6年で手伝い、10年で簡単な物と言った感じでしょうか。 難しさと言うより一等大切なことは、集中力に尽きる様です。型絵染めは当然絵から始まり、型おこしと全て自分で行いますから、難しいことと言えば全部と言う事になります。
それともう一つは感性です。常に粋であるとか、素敵であるとかの気持ちを持って事にあた り、そして見るといったことが本当に大切な事と考えます。
技の種類や工程
型染めの一種であり、行程は ほぼ同じであります。他の職人さんのものと重複しますのでカットします。
現在の立場(役) 生涯現役
次代 他  
   


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