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15歳の年からお前はやれの一言でやるしかなかった訳です。親父喜楽屋喜楽はもっと小さい頃から始めました。始めは旗持ち、リズムに乗って動く、昔は旗持ちだけで人を引き付けるなど凄い技の職人がいました。慣れていないのに、やにわに口上をやらされたりしましたが、跡取りということで
町の旦那衆も暖かく見て下さり、情緒の有る時代でした。26歳の時、喜楽親方に変わって仕事を引き継ぐときも、喜楽さんに変わって町を任すのだからと旦那衆が集まり、その前で披露し、許可を頂いたものです。新年回りはこうした旦那衆の店に獅子舞などで回り、御祝儀を頂きました。 |
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町の人達に楽しんで貰えた時が一番やりがいがあります。
例えば、体を張って活きて来た大正、昭和の人達にはその人なりの生き方のドラマがあります。こうした人達と感動を共有出来た時は、チンドン冥利に尽きます。時には涙を流して聞いてくれる老人もいます。苦労といえるかは別としても、子供の頃からチンドン屋の息子としてバカにされたりもしましたが、父が胸を張って誇りを持って行く事を教えてくれたのでさほど苦にはなりませんでした。私達の子供もチンドン屋の子供と言われていました。
私達夫婦が仕事帰り、子供と偶然同じバスに乗り合わせても、お互い無視してしまうこともありました。今の時代とは違いました。時代が変わってきましたね。今、チンドン界も不況の波が押し寄せ、仕事的には業界全体が苦しい時期です。しかし夫婦そろってお互い“何とかなるさ”が口癖、楽しくカラオケなどで楽しみ又、周りの人にも楽しんで頂いています。 |
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今一番問題なのは、業界のことです。一心同体となり、一丸となって飯が食える状態にしたいですね。その為に頑張っています。 |
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最近は芸も安易になって基本を身に付けることより、創作的に逃げてプロ意識が無くなりTV同様にバラエティー型となり、形良く言えば、パフォーマンスと言いますか面白ければいいといった考え、もちろん見る側はそれでいいのでしょうが、演じる自分としてそれで良いのかといった問題が残ります。
プロとしての努力は自分の意識ですから死ぬまで修業です。それがプロと言う事でありますが、最近の現状は、その都度寄せ集めなければ出来ないといった世情の現実があり、難しい問題でもあります。仕事が無ければお金も無いし、お金が無ければ道具も揃わない、そうなれば有り物でとなる訳で、仕方が無いとも思っています。私は幸いにも生っ粋のチンドン屋の血を受け継いで、何とかやっていかれ、誇りを持って本当のチンドンのプロて有り続けたいと思っていす。 |