過去の歴史を紐解いても、これほど贅沢で楽しい煙管はない。
伝統工芸の指定を受ける際に、飾り煙管とされてしまい、そのまま名称となった。
しかし親方は飾りのつもりで作ってるわけではなく、たまさかそう呼ばれて登録されてしまっただけであった。代々続く飾り職人の技を煙管職人として楽しく創作した結果であった。鍛金、切嵌、彫金、そして金属の発色の技、使っている金属の種類の多さ、一見皮張りかと思わせる金属の加工発色など金工の技の全てを使って作っている。江戸金工職人の中で現在全ての技を駆使して作品を作れる親方は岩井氏以外には見あたらない。トンボがとまっている楽しい煙管や、浮世絵に見られるような粋な煙管も有る。
煙管の他に、銅の赤い発色をした装飾品を見せてもらったが、その赤はなんとも言えない深い色で上品な光を放ち素晴しかった。岩井家は昔、浅草にいたが、当時の飾り職人が集まりそれぞれこの赤の発色見本を見せられ全員が挑戦するという事になった。しかし誰一人当時は完成させられなかった。唯一偶然に発色させられた岩井氏(当時の)が、その仕事を受ける事になってしまい、結局うまく行かなかった。受けた親方は江戸飾り職人の恥と、その日を境に仕事を断ってしまった。
その封印を解いたのが当代の親方。曰く有りの赤い光が怪し気に輝いていた。当時としては大変難しいものであったと言う。これを使ったイヤリングとペンダントを試作していたが裏は銀の細工であった。
※ 二所銀=二ケ所に銀を使用、三所銀=三ケ所に銀を使用、四所銀=四ケ所に銀を使用。
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