扇子は我が国固有のものと言って良く、紙を貼って折りたたむ形は他国には無かった。
海外にも大量に輸出され、大きく影響を与えている。原形は傘と同様、中国と言われているが今の形とは違っていた。日本が自信を持って誇れる物のひとつである。こうした偉大なる扇子の歴史の流れゆえに、扇子への挑戦は相手にとって不足なしと、深津氏のやる気がほとばしる。
話をしていても、より良いものへの飽くなき追求といった心意気が随所に見られ気持ちが良い。よくあるどこかで聞いたような通り一遍の話をする訳では無く、自己の経過を分析しながら掴んだ事を土台にして話を進めていく。
仕事をしていて“そうだったのか”といった発見は、何より楽しいと語る。今時の知識だけ詰め込んでいても行動を伴わない者の頭では絶対に分らない境地の楽しさである。
こうした恵まれた資質と環境を見る時、叔父である日本画家の池上隆三氏の存在は非常に大きい。深津氏の父であった名工深津鉱三氏と切磋琢磨し作り上げて来た沢山の扇子は、両雄が掛け合いで綴ってきたドラマを感じる。この神髄と完成度はその経歴を見ると納得する。美智子様、雅子様、紀子様など皇室の儀礼用、団十郎、玉三郎といった歌舞伎役者の舞台使用など多くの場面を歴史の中で飾って来た。
そして、何よりも素晴しいのは、当代の江戸扇子職人である深津紘三氏の娘も、今尚現役である池上隆三氏と仕事をしており、粋で洒脱な扇面画の江戸扇子を、今も手に出来るという事である。当代深津氏の扇子は他の人と比べて材質を含め間違い無くそのグレードが違う。こうした姿勢は素晴しい歴史と職人が持つべき本来の心を持ち続けているということに他ならない。
■ 歴史
江戸末期より日本橋にて扇子店を開き、大正期に浅草、昭和初期に京都等に居を移し、戦後東京で分家し深津扇子店として再開致しました。 |