日本刀制作技術・東京都無形文化財、そして刀匠会会長、その重責をになう。
名工の血を持つ一人である。
異例の事と思うが、兄義人と共に吉原一族だけで東京都の無形文化財となった。まさに実力である。刀剣界の双璧の証明であり重鎮である。
技に関しては、他に追随を許さない丁寧な地金造りは刀匠の持ち味である。早くから日刀保タタラ(日本美術刀剣保存協会の玉鋼製造)の立ち上げ期にも協力し、加えて玉鋼の技術普及活動、日本刀剣界の指導的立場、常に牽引者として頑張ってきた。初代勝吉(明治27生)より当代で3代目。兄より一足先、12才の時に祖父の国家(2代目)に入門した。
国家の銘を昔の刀鍛冶の番付で見ると東の横綱である。吉原一族の偉大なる血を感じる。2代目の国家が亡くなった1年後、昭和46年に、義人若干27才、荘二(現国家)26才の兄弟は、今までの鍛冶家業を閉じ二人で日本刀鍛錬道場を開設した。若い兄弟がいかに強い志を持って臨んだかが伺い知れる。その頃の当代国家は刀の作風も幅を広げ、清麿一派の作風から備前物などにも魅せられて作刀をしていた。
国宝の修復や複製、奉納刀、数々の海外での実演、映画ラストサムライでは刀鍛冶として参加、又、ハリウッドスター、スティーブン・セガールの刀を見せて頂いた時にはあまりの長さで驚いたものである。
現在の刀剣界の失態の中で、日本刀剣界の重責を担い、覚悟しての会長就任である。後から続く刀匠達の為に是非頑張ってほしいと願うばかりである。間違いなく名匠“武蔵国國家”の名前、現代においても技巧派の強い横綱のひとりとして盤石である。 |