平成18年 刀剣界最高位 無鑑査に昇進。
18才で陸軍の受命刀匠、最年少であった。戦後は全く違う仕事をしていた。理由は刀匠を証明するものが全て戦火に遭い焼失した為である。八方手を尽くしたが結局刀鍛冶であることが証明出来なかった。熱い思いは重なり、刀匠の道を今一度挑戦することになった。
金子孫六に師事するも、既に50才になっていた。刀匠として受理された時は戦後24年経っていた。もともと天才肌の親方であり、ここからの20数年の快進撃は、知る人ぞ知る怒濤の勢いである。
刀の歴史からすれば、今の現代刀の前の時代になる新刀の名工で、東の虎撤、西の助広と言われた名工がいた。助広すなわち津田越前守助広は濤瀾刃を創出した刀匠である。波のうねりを模した刃文は、実に重厚である。現在、この助広写しをやらせたら右に出るものがいないと言われる名工が兼圀である。大正生れ、今尚現役であり、不屈の闘志から考え、そして生き方として尊敬出来るのである。
■ 歴史
平安時代〜現代 |