職人の住む町
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世界一奇麗な真珠を作ることが夢であった。

北尾親方の真珠貝養殖であるが、海水と淡水真珠、驚く事に“沼にいるカラス貝やさざえそしてはまぐり”などでも作る技を持っている。
常に心がけている事は、元気のよい真珠貝である。ゆえに産卵から成長までの全工程を扱う。日本で唯一、真珠貝の研究家でもある。
『誰が海水の真珠がいいと決めたのか。何で人工が良くて天然の方が重視されないのか。』
核を入れるから丸くなるだけで、たいして自慢できる技でもない。この核を着色し透過させ赤めの珠を作るといった不埒な業者もいる。
また通販など価格を安易な方法で操って販売する人もいる。大きな核を入れて短期で薄くまけば安い珠が早く作れるのだ。
丸いと言うこだわりは、どうも日本だけのものらしい。後付けの都合いい理屈のようだ。
常識で考えれば、天然に近いものが、何でも本来高価であり貴重である。これは自然の光であり天然がいいと思うのだが・・。
親方はそれが自然を重視すると言う。貝の元気も人工的に無理させれば、やれば弱って病気になる。現実にそうした問題が起きているようだ。自然の美しさを目で実感し素直に捉えればどちらが奇麗であるかだ。その結果、淡水の池蝶貝にしたそうだ。これにかなうものは無い。親方の師匠であるが、多くの女性を飾る為といった発想はなかったようだ。ひたすら良い真珠を作りたいという根っからの職人であった。だから当代の親方も人工核は入れない。今もである。割ってみるとわかるのだが、芯まで真珠層で詰まっている。自然であれば形もいろいろだ。親方の若い頃であるが、そのまま師匠の夢をつなぎ真珠になる素晴らしい貝を求めて各地を歩いたと言う。
結局落ち着いたのは52歳の時、今の場所である。きっかけとなったのは、良き仕事のパートナーであった細田さんと出合いだ。
北尾師の才能を見抜き、技を活かすべきと考えて奔走した。当時の細田さんはファッション関係の仕事に従事していた。そのセンスを活かしたいと考えていたようだ。うまいことに細田さんのお父さんが地元の名士であって、これも幸いした。
牛久沼を使えるように北尾師の後押しが始まり、ついに本格的に真珠作りに没頭出来る事となった。その結果であるが絶対に見られない17mmの真珠の珠を見せて頂いた。一粒で500万とも1000万ともいえると言えるしろものである。そして更なる夢に今も挑戦している。


  永い経験を重ねてもデリケートな貝にとって、水質や環境の変化に技術では補えない時がある。自然の中で働く者の宿命とも思うが、何度となく貝が全滅し苦汁をなめ、再び立ち上がってきた波乱万丈の人生である。
落ち着いたのは52歳の時であった。現在良き仕事のパートナーの細田さんとの出合いが真珠作りとしては大きな転機、細田さんは北尾師の才能を見抜き技を活かすべきと考え奔走した。
当時細田さんはファッション関係の仕事に従事しており、そのセンスが活きることになる。又細田さんのお父さんが地元の名士だった事も幸いした。 北尾師の後押しが始まり、真珠に没頭できる事となり、今日に至っている。
  天然真珠の素晴しさを見てほしい。
 
  物事に集中して心から打ち込む事。
  一旦物作りを心掛けたら、どんな遠い回り道でも歩き、常に原点を思いおこし頑張る事。

 

職人名 北尾正一(きたお・しょういち)
雅号又は銘  
生年月日 昭和4年8月1日
職種(種) 真珠
作品(アイテム)  
技数(積)
弟子入りしてから手伝えるような状態になるまでの期間
3年、全てを知る為にはもっと時間を要する。
技の種類や工程
真珠貝の細胞を取り出し別の活きた貝の細胞に移す。この事で核を入れずに真珠を作る。
生き物が相手なので経験以外にない。
現在の立場(役) 現役
次代 他  
   


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