自然酒しか造らない・寺田本家
江戸時代、廻船が寄航する“銚子”に隣接した地域であるが、江戸の町を商圏に繁栄した場所であった。あまり知られてはいないがこの地は、幕府の命で酒造りの特別区域に指定されており、なんと “関東灘”を目指したのである。灘の杜氏を呼んで仕込むも、環境も原料も異なり、出来上がった酒は残念だが期待通りにはいかなかった。
江戸の庶民達も隣接している関係から、手に入りやすい安い酒を要求する産地と考えていたようだ。この政策は初めからうまくいかなかったのである。
やがて特別指定を解除されるが、その後の蔵人達の意地もあって、独自の形で研究を進め、その後、上等な酒を江戸の人達に供給して喜ばれたという。この話であるが、最近、吉原義人刀匠との雑談の中で、千葉の酒造の話が出て “驚いたが美味いのがあった”と話していたのでこの話は確かである。
明治の頃、発見された“即醸_製法”と言う促成の技がある。今のほとんどの酒造の製法だ。この実験所を提供したのがこの地域の酒蔵である。まさに発祥の地の一つである。
江戸時代のこの地の酒蔵数は100軒以上。明治12年の調査では、醸造人数が800名とあり、盛んであったことが推測できる。
現在、千葉県には40数軒、それでも多ように思うが当時の名残だ。ここに紹介する寺田本家だが、上記の速醸造は全く行わない昔ながらの酒を造っている。
以前の生_造と言う製法だ。酒の全種をこれしか作らないと言うのは全国でもきわめて希少な存在と思う。菌と共存している蔵人達がまさにここにいる。
徹底した姿勢は観光客に見せると言うことでもなく、作業に合わせて自然に“_すり歌”が始まるのだ。菌の健康に合わせていくと、全工程が次第に手作りになっていくと言う。
杜氏の良貫さんは不思議であると首をかしげていた。
『菌は生き物、実におもしろく飽きがこないですね。今は“古代からの酒の道”をたどり、菌と一緒に旅をしているといった感じです』。
使用する米は、有機米、古代米、そして昔からあった地元の稲など、すべて自社栽培である。『菌も稲も人間も生きています。共通ポイントは元気。従って、その為の努力が結局仕事になります。』細菌や細胞からはじまる“生命の神秘”に触れる深さが酒造りにはある。
杜氏は自身を確かめるようにうなずいていた。
|