職人の住む町
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職人からの評判も最高、指物界の王道を歩く名工

 根本親方の系譜は、明治に活躍した三宅島出身の前田文之助をルーツにしている。その弟子の佐藤重兵衛その子、徳太郎(三宅島)と続くが、いずれも名だたる不滅の職人として文献などにも残るほどである。 特に徳太郎の弟子の島崎国治(明治40年生、三宅島)は、初代の孫のような存在ではあるが、近年まで活躍した指物師である。その名声もまた並ぶ人がいないほどと言われている。この島崎親方は宮家、梨園、財閥などの御用は数知れず,多くの作品を残している。その弟子が当代の、戸田敏夫、木村正、根本一徳の三人。他にも弟子はいたのだが戦没したと言う。当代のすごい各親方は、いずれも群を抜く名工、江戸指物の三人衆と言い切ってよいほどである。根本親方のお弟子の中に、親方の腕と道具そして姿勢全てにほれ込んで入門した人がいる。全国の著名な指物師を訪れての結果である。理由は道具の美しさ、製作の早さ、見事な作品、日本一と断言出来る親方とのことでした。

 この職人は木の種類と使い方について、他の人が太刀打ちできないほどの識者で、自宅には信じられないほどの種の木が寝かしてあり、言えばたちどころに出してくるといった勉強家である。又、道具の収集家で過去の有名な鍛冶の道具も中々のものだ。その言葉どおり,根本親方は他業種の職人仲間から見ても凄いと言う評判が立つており、文字通りの最高峰である。 又、島崎親方の弟子の中では最も穏やかな正確で、技と人物が比例し、間違いなく日本の指物界に名を残す本物と思う。若いし、物静かで容姿も品も良く、さしずめ指物界の貴公子といったところだ。親方に尊敬出来る現代の指物師をという質問をしたところ、まず島崎親方の弟子であること、そしてその誇りを口にしてから、兄弟子に負けないように頑張りたいとの答えが素直に帰ってくる人である。江戸指物界の顔と言える一人であることは間違いない事実だろう。


  江戸指物の重鎮、島崎国治に師事し内弟子として修業しました。親方は仕事が終わると先に帰ってしまいます。帰った後、兄弟子達と共に親方の仕事を研究しました。今考えれば親方は知っていてそうしていたのではないかと思います。
女将さんも素晴しい人でした。兄弟子達も関った人達も全てが本物の親方に会えたことを誇りしているはずです。
  使っていて変化しない、調子が悪いと言われないいうことを心掛けて作っています。私が作った物は私が元気でいる(若いですが )限り永久保証します。今までクレームはありません。
 
  作り手の思いを入れます。喜んで使っていただけることだけを考えます。 作る楽しみと使う楽しみが同じになればいいですね。
  先輩達に聞いて下さい 。

 

職人名 根本一徳(ねもと・かずのり)
雅号又は銘  
生年月日 昭和27年10月29日
職種(種) 江戸指物
作品(アイテム)  
技数(積)
弟子入りしてから手伝えるような状態になるまでの期間
3年〜10年そして一生と思える。材質一つにしても木の性質、そして置かれる環境までとなると全て難しい。
技の種類や工程
板の乾燥−構想−木取り−削りー加工(組手、小穴、ほぞ付け)−加飾ー組立ー外部仕上げ−磨き−塗り−金物取り付け
現在の立場(役) 現役
次代 他  
   


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